ナーロッパ再考#1 【宗教編】無作為に転生した異世界がキリスト教そっくりの宗教体系な確率

教会

どうも。戸津坂京介です。

最近は毎日10作小説を読んでいます。しかしお蔭様でフォロワー様が増えたので、そろそろ活動の再開をば!と思いこうして筆を執りました。

下記の記事でナーロッパという概念について再考してみたいという旨を語ったと思うのですが、今回は記念すべきその第一回です。

一応この【#ナーロッパ再考】という企画の趣旨について語っておくと「○○だから、歴史考証的にこの物語は間違っている」と指摘する意図は一切なく、集合知によって生み出されたはずの「ナーロッパとは何か?」を考察するのが目的です。単純な知的好奇心ですので悪しからず。

ですが、コラムとしてはちゃんとしたものを書くつもりですのでお読みになられるとちょっとした創作の糧になること請け負いです。

ちなみに一回目のテーマは「宗教」です。絶対一回目向けのテーマじゃないのですが、一番語りたいため景気付けに一回目に持ってきました。

ぶっちゃけナーロッパという呼称自体もあまり気に入っていないのですが、それ以外の呼び名もありませんのでナーロッパで統一致します。それでは早速本文に入りましょう!

ありがちなナーロッパの宗教はほぼキリスト教?

Christ

突然ですが、皆様はこう思われたことはないでしょうか。WEB小説に出てくる宗教って大体キリスト教じゃね?いえ、WEB小説以外の多くのゲームや漫画でもそうですね。

実際にはキリスト教ではないのですがどの宗教に一番近いかな?と考えた際はこれキリスト教だよなと私は毎回結論付けてしまいます。もちろん中世ヨーロッパを再現した作品が多いのですから、キリスト教に似て然るべきなのですが、結構わざとキリスト教から外そうとしている作品も散見されるんですよね。

例えば多神教になっていたり国家によって運営されていたりするパターンですね。あと神殿を持っている場合もですね。物語にそれほど関係なく多神教としての描かれる場合や、宗教国家が登場する場合、作者は意図して中世ヨーロッパの再現ではなく、全く別の世界を生み出そうとしているのだと思うのです。

しかし、それでも私は思うのです。『これ多神教になっただけでほぼキリスト教だよな』と。この場合作者様はキリスト教以外の宗教をお書きになりたかったと思うのですが、キリスト教以外で異世界の世界観にマッチする宗教のモデルを知らないため、結果的にほぼキリスト教になってしまっている状況だと思うんですよね。

もちろんフィクションなので実際に神がいるパターンや、世界の魔法を管理しているパターンもあるのですが、それは世界観であって宗教観ではないと思います。

そして私は、そんな皆様に知っていただきたいんです。宗教観の形成において多神教か一神教かなんて本当に細々とした問題に過ぎないということを。もっと他に宗教を特徴づけるものはあるんだよと。

そもそもキリスト教が厳密に一神教かと問われれば断言は難しいですし、我々が頻繁に行っている「多神教と一神教どちらが優れているのか議論」という論争はそもそもが18世紀啓蒙の時代に西洋人が「多神教はキリスト教の堕落した形態である」とか「多神教は全ての面でキリスト教に劣っている」という言説を流行させたことから始まります。

一応当時の神学者の方々は結構研究をなさっていたのですが、キリスト教disができる時代でもなかったので多神教を落としたわけですね。本当に宗教は学問とは相性が悪いと思います。

宗教から哲学が、哲学から学問が生まれたことを考えれば宗教と学問はおじいちゃんと孫の関係に当たるはずなのですが、私もおじいちゃんの家に訪れたときあまり話すこともなかったですし仕方ないですね。その点は受け入れましょう。

さて、ここまではすげー繁栄したからと他の宗教を馬鹿にしたキリスト教神学者が悪いのですが、その後リベラル思想が生まれだした頃にキリスト教信者の中に「多神教も一定の分野では一神教より優れている」とか言い出す方がいました。そして、そこに全国の多神教信者が全のっかりした結果、今の論争が生まれたというわけです。

つまり、本当にくだらないただの言い争いということです。3世紀前につけられた因縁に対して多神教サイドはずっと切れているわけですね。今の論争の状況は「根拠のない言いがかりに対して、それ根拠ないよな!とずっと言い続けている状態」です。時間の無駄ですね。

もちろん信仰する側にとって信仰対象の数は重要かもしれませんが、よく考えてみてください

神が一柱か三柱かなんて大勢にどんな影響がありますか?よく一神教は狭量で他の宗教を受け入れずに暴れるのだ!という主張がされますが、今皆様が頭に浮かべられているその宗教も昔は啓典の民といって他の宗教も普通に受け入れていました。というか今信仰されている方々も多くは他の宗教を受け入れていらっしゃいます。

そして反対に他の宗教を受け入れずに大量虐殺を行った多神教も沢山存在します。ということで、多神教か一神教かという分類は神が一柱かそうじゃないかに過ぎず、それ以外のことはほとんど関係がないということです

そもそもユダヤ教とキリスト教とイスラム教以外に一神教のロールモデルがない方が多いと思うので今回でそこをアップデートしていきましょう!

宗教の分類は多神教or一神教の他にも沢山あります。例えば以下の分類ですね。

  1. 神中心主義or人中心主義
  2. 自然宗教or創唱宗教
  3. 儀式宗教or儀式宗教以外

他にも色々あります。人間は神として扱われることがあるのかとか、神が人の形かとか。この分類は別に極めて支配的というわけではないのですが、とりあえずこの三つでいきましょう。

簡単に説明していきます。

神中心主義・・・人間は神のために創られたのだとする宗教。そんな馬鹿な!と思うが「人間は何のために生まれたのか」というまあまあデカい問題を無条件でクリア出来るため安定感抜群で、メソポタミアの神中心主義は五千年続いたが崩壊の兆しすらなかった。神様にいっぱい何かをしてあげたいため儀式宗教になりがち。

人中心主義・・・ユダヤ教派生の宗教が多い。神中心主義以外の宗教のこと。よくキリスト教は人中心主義を止めて自然を大切にするべきだ!という論調が見受けられるが人中心主義を止めた場合は神中心主義になるので厳密には間違いである。人中心主義でも自然を大切にすることはできる。Wikipediaの記述も間違っていると思うが、あまりに私が研究した内容と違うため言及は控える。

自然宗教・・・誰が言い出したでもなく自然と誕生した宗教のこと。必ず多神教になるという特徴がある。もし自然宗教の一神教があれば同時に沢山の人が神聖なものを同一の存在に感じたことになるためそれこそ神が存在することになってしまう。大抵文字よりも先に存在するためどうやってできたのかが本当に分からず、大抵の自然宗教は0.00001%くらいの確率で本当は自然宗教じゃない可能性がある。

創唱宗教・・・自然宗教に対し、誰か特定の人物あるいは集団が産み出した宗教の事。一神教、多神教の両方があり得る。自然宗教と比較して数が圧倒的に多い。また、「自然宗教の土台がなければ創唱宗教は生まれない」とよく言われるが、歴史上はそうでも現代じゃ抜け道はいくらでもあるためいきなり創唱宗教が生まれる事もありえると思う。

儀式宗教・・・儀式中心の宗教のこと。キリスト教にも儀式は沢山あるが、それの比ではないほど儀式をしまくる宗教が含まれる。具体的には毎日儀式をするような宗教のことだが、皆が思っているより遥かに多い。特に自然宗教は大規模なものであればほとんどが毎日神殿で儀式をしている。WEB小説では見た事はないが、意外と儀式のしすぎで国難を迎えた国も多い。

儀式宗教以外・・・儀式宗教以外の宗教。結局儀式って物凄くお金がかかるため財布に優しく、この分類の宗教を引いた国は強くなりがち。しかし、これは自説だが神の前で儀式にかける金銭という面で人間の優劣が失われるため革命が起こりやすい土壌を育むこととなる。

ほへ~。一口に宗教といってもいろいろあるんすねえ。

さて、キリスト教はこの分類で行くと

・人中心主義
・創唱宗教
・儀式宗教以外

になるのですが、私がWEB小説で見るのはほとんどが

・人中心主義
・自然宗教
・儀式宗教以外

となっております。こうしてみるとキリスト教に似すぎじゃないですか?もちろん悪いことでは一切ないです。最初から言っているようにテンプレを揶揄する腹積もりは一切ないです。しかし、もうちょっと他の宗教があってもいいですよね。

もちろん宗教にとって大事なのは教義や神に対する態度であり、そこは作品にも非常に関わってくる部分だと思いますし、バリエーションが多くキリスト教とは全く異なります。ですが、枠組みは凄く似ているんですよね。

例えば神殿が登場してもキリスト教の教会のように扱われており、多くの場合神官しか立ち入れないはずの神殿に主人公が入っていったりします。別に決まりはないのですが、キリスト教にしかないような特徴が多くのオリジナル宗教に取り入れられているのが面白いです。

ちなみに私がキリスト教に一番近いと思っているだけで実はもっとWEB小説で信仰されがちな宗教に近い宗教は実在するかもしれません。もしそんな宗教が実在したら入信します。

今回挙げた分類でいくと、唯一の相違点が自然宗教か創唱宗教かなのですが、これは何故なのでしょうね。宗教の創始者って登場させにくいのでしょうか。

ですがこれもねー。宗教に自然な形とか、不自然な体系と呼ばれるものは絶対に存在しないのですが、対象がフィクション作品なので言ってしまうとただキリスト教から創始者の存在を抜いただけのような宗教が多いような気がしてしまうのです。

創始者の存在がいないのにあの形式の宗教が誕生する可能性はあるのでしょうか。そのことを確かめるために次章に進みましょう。

キリスト教みたいな宗教が出来るための条件

まず宗教に通常も特殊もない明記させていただいたうえで述べると、キリスト教は相対的に観察した結果他にない要素を多く含んだ宗教だといえます。

というか配慮はマナーとしてするとしても、配慮アピールをいちいち挟むのはノイズなので、ここでカミングアウトすると私は宗教を調べるのが大好きで、キリスト教もイスラム教もユダヤ教も仏教もヒンドゥー教も大好きです。既に信仰されている方のいない古代宗教についてもかなり調べています。研究時間でいうと軽く一万時間を超えます。

だから今後述べることは全て愛のある指摘だということをどうかご理解いただけますと幸いです。

さて、キリスト教が特別だという話なのですが、それは結果としての人気や権力、歴史を除いて、単純に一個の宗教として見た場合も同様です。つまり教義や儀式など宗教の中身の話ですね。

なんとなく皆様もユダヤ教からキリスト教が生まれたという事はご存知なのではないでしょうか。しかしそのユダヤ教自体が非常に特殊で、更にそこからアレンジが加わったのがキリスト教なため中々ない仕上がりの宗教であることは確かです。

しかしその特異性が何故生じたのかを語るのは非常に簡単です。

それはユダヤ教が大国への反発により生まれた宗教だからです。

成り立ちを順に語りましょう。

ユダヤ教起源の地であるイスラエルは宗教発足当時弱っており、国王は自分の国の宗教を捨てて、メソポタミア文明の大国の宗教を習おうとしていました。

当時のイスラエル近辺(メソポタミア周辺)では「あの神信仰しているけど、戦争に負けたからあの神大したことないや。別の神に乗り換えよ!」ということが頻繁に起きていました。そのためこの判断自体はおかしくないように思えるのですが、イスラエルの預言者達は激怒しました。

なぜならイスラエル国王が信仰しようとしているメソポタミアの神々は当時同胞を何万人も奴隷として連れて行った憎きバビロンが信仰している神々だからです。そんな事許せるはずがありません。しかし国王の心は揺らいでいる。

バビロン捕囚
バビロン捕囚の情景

そんな時にイスラエルの預言者達は『HUNTER×HUNTER』が好きだったのか「制約と誓約」を使って国王の心を動かします。

それは「預言を外したら死ぬ」という誓約です。その代わりに信憑性を上げたわけですね。そして実際に何人も死にました。勘違いされがちですが、当時の預言者の役割は「当たり前のことをいうこと」でした。つまり神がこう言っているのだからこうしろ!とか好き勝手いうのではなく、経済がこうなら国はこうするべきだ、とか、地位の高い人物がこれくらい金を持っているなら対策を打つべきだ!とか、政治家みたいなことを言うのが仕事でした。

これはメソポタミアからの系譜ですね。かの文明は演繹占いという激ショボ統計学みたいな占いが存在し、Aが起こったらBが起こる!というのを収集していました。当然「黒猫が前を横切ると不幸になる」みたいな情報も含まれてしまうのですが、一応統計を取っている以上当たる可能性もあり、結構信じられていた占いでした。

イスラエルもこんな感じで預言をするのですが、メソポタミアの預言者が「外れても仕方ないよねー」というノリなのに対しイスラエルは「神の声直接聴いたので俺が正しいです。あの預言者の言う事は噓っぱちです!」といったようにバチバチで、預言者同士でもバトルが起きます。最終的に熱意に押された国王も彼らを信じ預言者勢力が力をつけました。

しかしそうなった後もチキンレースは続き、最終的には一つの預言者の派閥のみが生き残り、今のユダヤ教の基礎を作るわけです。ちなみに今世界で最も有名なYから始まる神様はイスラエルに元々存在した多神教のうちの一柱で、さらにお嫁さんまでいました。出世しましたね。

さて、そんなバビロン捕囚大嫌いな人達が関わっている成り立ちのユダヤ教だからこそその宗教の形態は非常に特殊なものとなりました。だって、大嫌いなメソポタミアの宗教のを選びまくったのですから。もちろん何年も奴隷として扱われていたのだからそれくらい恨んでも仕方ないですがね。

皆様はこう思われたことないですか?「何故偶像崇拝は固く禁止されているのだろう」と。私も大学で講義を受けた時は信仰のブレが生じるみたいな話を凄くされたイメージがあります。

ですが実際の理由はこうです。

「メソポタミアがバチバチの偶像崇拝だから」です。

メソポタミアは偶像崇拝のパラダイスで、人間ほどの大きさの像を称え、貴重品の油を何Lも捧げ、毎日何十頭もの牛や豚を捧げ、しかも人間の王族にするよりも豪華に調理をし、毎日お布団に入れてあげ、毎年旅行させてあげるために神輿で長距離を練り歩き、しまいには戦争中に神像が奪われ神像が捕虜になり、戦争に影響を与えることもあります。

私は非常にこの偶像崇拝が大好きなのですが、バビロン捕囚で連れてこられた奴隷達はムカついたに違いありません。何故なら食べるのみも苦労している生活が続いているのに神像がありえん豪遊を毎日しているのですから。

メソポタミアで生まれ育った人達ならまだ納得できるでしょうが、連れてこられたばかりの人は地獄のような思いをしたでしょうね。自分の信じている宗教以外の神像などただの像にすぎないでしょうし。

そういった事情もあって聖書では偶像崇拝は非常に馬鹿にされています。イザヤの手紙とか顕著ですね。それと似たような理由で儀式宗教大嫌いですし、メソポタミア宗教の逆を行った教義が多いです。もちろんそうではない部分も多いですが。

そういった理由もあってユダヤ教は人間から自然に生じた宗教を強く否定して生まれた存在であり、様々な前提が揃っているうえでしか存在し得ないことが分かります。

さらにキリスト教はそうしたバックボーンを除いたうえでそれをアップデートしたものなのですから、そんなしょっちゅう見られるかなあと感じがします。

無作為に転生した異世界がキリスト教そっくりの宗教体系な確率

まずキリスト教みたいな宗教が存在するためにはユダヤ教みたいな宗教が必要で、ユダヤ教みたいな宗教ができるにはメソポタミアみたいな宗教が必要で、メソポタミアみたいな宗教ができるにはメソポタミアみたいな土地が必要です。

よく砂漠地帯は一神教が出来やすいとかっていうんですが、実際に土地と宗教は密接に関係しています。ただ砂漠地帯で一神教が出来やすいというのは半分正解で半分デマですね。

宗教の成り立ちには土地が関係することは間違いないですが、現地ではなく周辺の地理が密接に関係します。自然が厳しい土地は厳しい神様が多く、自然が豊かな土地は神様が優しくなるという話は有名で、洪水や地震が多い土地では神様が怒りんぼうとして描かれやすいです。

しかしどれだけ自然が厳しかろうと周辺の土地の方が自然が厳しければ神は優しいと思われるようになります。エジプトとかは顕著ですね。周辺が砂漠すぎてナイル川周辺は聖地だと思われていました。

こういう話はしようと思えば無限に出来てしまうのですが、話が逸れるのでキリスト教の前に絞りましょう。

メソポタミアという土地は地理的には元々一本の川でした。とても昔のことで一見関係ないのですが実はめちゃくちゃ重要で、川底だから先住民がおらず、けれども川の流れの力でめちゃくちゃ豊かなんですよね。そしてそんな土地がめちゃくちゃ広いわけです。

都合の良い土地すぎて様々な民族がこの地に集っており、だからこそ文明の揺り籠だったわけです。メソポタミアは宗教が出来てからも他の宗教を吸収し続け、Yから始まるあの神様も一度メソポタミアの神に習合されたことがあります。

そしてメソポタミアはめちゃくちゃ肥沃な土地だったので「儀式宗教」になります。普通に生きてて食べ物に困らないから投資に走ったわけですね。メソポタミアの宗教にはまだ道徳が含まれていなかったので神に大量に供物を捧げると仕事で成功したりお金持ちになれると考えていました。ばりばり現世利益です。

そして当時は個人でできる最も気軽な投資が儀式でした。そしてこのタイミングでメソポタミアが「儀式宗教」を選択したためキリスト教が「儀式宗教以外の宗教」になることが決まったわけですね。

そして次に周辺の土地です。メソポタミアでは新アッシリア帝国のアッシュルバニパル二世だか三世がまず超大規模な捕囚、他国に攻め入って奴隷を連れて帰る行為を行います。そしてその後それをバビロンの王のネブガドネザル二世が真似してそれが「バビロン捕囚」になるわけです。

これが行われるための条件ですね。まず「メソポタミアみたいな土地があり、さらにその周辺に存在する国家が貧弱」である必要があります。メソポタミアの横に当時の中国があったら絶対に滅んでいますしね。メソポタミア。

そしてそこでユダヤの人々のような賢い虜囚がメソポタミアの宗教みたいな宗教に触れる必要があります。実は当時メソポタミアでは一神教化が進んでおり、メソポタミアの人々の間でも「神、実は一人なんじゃね?」という雰囲気がありました。というか後にほぼ一神教みたいな状況になりますしね。

この空気感もユダヤ教の成立には必要だったのでははないかと思います。だいぶ前に述べましたが、一神教は偶然では生まれません。絶対に誰かが何らかの意識を持って創始しなければなりません。

次はその条件ですね。イスラエルの預言者達のように危機意識を持った熱意ある人々がいなければあの宗教観はできません。これはクリアしやすいと思うんです。現代でも大体の人が危機意識は燃やしているので。ですが、すごいでかい問題があります。それは結果として勝った預言者チームが滅茶苦茶賢かった事です。

最近でも昔の宗教の教義みて、こいつら馬鹿だな~ってコメントするツイートがバズることがあるのですが、その当時の基準では大体滅茶苦茶賢いです。その中でもユダヤ教の預言者は賢すぎます。そら参考にされるわって感じです。

宗教に道徳律を新たに導入し、従うべき書物を公式に定め、しかもその書物を個人じゃ読めないくらい難解にするなんて普通思いつきません。

この条件が一番クリアが難しいかなと思います。というかこの宗教のフォーマットが出来た段階でキリスト教のような宗教ができるのは必定のようなもんです。

見出しでは、「確率」という文系の私には一切理解できない概念を用いましたが、ファンタジー作品の異世界という無限にクリエイトができる概念における確率は当然、作家様方が決めることであるはずです。

ということで本ページの主題である「無作為に転生した異世界がキリスト教そっくりの宗教体系な確率」の答えはここまで読んだ貴方が思った確率ということになります。えぇ。

貴方が「確かにキリスト教みたいな宗教が生まれる確率は低いな」と思ったのであれば確率は低いですし、「いや、この程度の条件ならクリアされることもあるだろう」と思われるのであれば確率は高いです。これを結論と呼んでいいのやら。

ちなみに、キリスト教みたいな宗教は結果として残りやすいのだ!という考えや、宗教も最終的には収斂進化するのだ!という主張もあるかとは思いますが差別に繋がるので止めておきましょう。ちなみに私はそんなことないと思います。

さて、ここまで読んでくださった方お疲れ様でした!もし読んでいて面白いと思っていただけたなら今後も情報発信をしていきますのでフォローお願いします!あと質問があればリプでもサイト内コメントでもお待ちしております!ありがとうございました!

参考文献

小泉龍人『都市の起源ー古代の先進地域=西アジアを掘る』講談社、2016

小林登志子『古代オリエントの神々ー文明の興亡と宗教の起源』中公新書、2019

小林登志子『古代メソポタミア全史ーシュメル、バビロニアからサーサーン朝ペルシアまで』中公新書、2020

小林登志子『シュメルー人類最古の文明』中央公論新社、2005

月本昭男『古代メソポタミアの神話と儀礼』岩波書店、2010

月本昭男『この世界の成り立ちについてー太古の文書を読む』ぷねうま社、2014

前田徹『初期メソポタミア史の研究』早稲田大学出版部、2017

ボテロ・ジャン、角山元保訳、久米博監修『神の誕生ーメソポタミア歴史家がみる旧約聖書』ヨルダン社、1998

ボテロ・ジャン、松島英子訳『最古の宗教ー古代メソポタミア』(りぶらりあ選書)法政大学出版局、2001

Black, J.A., Cunningham, G., Ebeling, J., Flückiger-Hawker, E., Robson, E., Taylor, J., and Zólyomi, G., The Electronic Text    Corpus of Sumerian Literature (http://etcsl.orinst.ox.ac.uk/), Oxford 1998–2006.

Frayne, Douglas R.; Stuckey, Johanna H.. A Handbook of Gods and Goddesses of the Ancient Near East . Penn State University Press.

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コメント

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    • P.a.g.h.

    コメント失礼します。
    以前の「なろう系」の記事から興味を持ちまして、本記事も興味深く読ませていただきました。
    当方、昭和製のために実は「なろう系」がどうも入ってきにくく、いくつか目を通させていただいた作品がたまたま粗の多い物に感じて、なろう系を勉強しなくてはなと思っていたところなので、こちらのコラムはとても有り難い企画です。

    で、その一発目が「宗教から」というのは度肝を抜かれました(笑)
    それもイメージや夢想からの考察ではなく、しっかりがっつり文献を並べての講義のようなものだったので、「なろう系」だけでなく「宗教論」としても楽しく読ませていただきました。

    そのため個人的に感じた感想としまして、もっとライトでイメージ先行な部分で「なろう系宗教」が描かれていないか?と思ったので、書かせていただきます。

    それはもうごくごく単純な三点だと思います。
    ①仏教的イメージの忌避
    ②洋風憧れと夢想からくる「神・魔物・魔術」のイメージ
    ③ファンタジー小説からTRPG→コンピュータRPGと続いたゲームからの想起

    この中で一番大きな基礎となっているのは③に見るグラフィックとゲーム世界が、中世をベースにキリスト教的宗教ベースを持っていたと思えますし、何より「絵」という視覚情報に宗教が描かれる際に完全オリジナルは伝わらないため、司祭や神官に加えシンボルもキリスト教に寄ったように思えます。
    そしてそれをより中世イメージに落とし込む①②の存在。
    「神・魔物・魔術」のグラフィックも和風や中華な「僧侶・妖怪・法術」では基礎となったゲーム世界とかけ離れてしまうでしょう。

    また①については日本文化の色が表れすぎるために身近さが勝ってしまい、異世界感が薄れてしまうのもあると思えます。
    最近でこそ和風ファンタジーと中華ファンタジーが取り上げられることが多くなってきたようですが、私が目を通した作品ではどれも源氏物語・平家物語・鬼太郎・もののけ姫・信長の野望・三国志・水滸伝あたりのイメージから脱していませんし、私もそれら既存の作品をイメージしながら読んでしまっていました。

    つまりは「東アジアイメージを廃して、ゲーム的ヨーロッパ絵で描くとキリスト教模倣になってしまうのが日本人思考なのでは?と思いました。

    恐らく創始者があやふやなのも、ここまで文献を並べて宗教観の構築を行っていないからではないかと^^;
    後々語られるであろう国家形態・政治体系・階級制度もそうではないかと思っています。

    ただそんな個人的見解は私のものですから、今後の「ナーロッパ考察」を楽しみにしております。
    次回のコラムが待ち遠しいです。

    • コメントありがとうございます!以前の記事にも目を通して頂けたということで感激の極みです。
      なろう系は老若男女問わず執筆することが可能な分野でして、粗の多い作品がある分、好みの作品を見つけた時には盲亀の浮木に出会ったような気分になるものです。
      私自身今回のご指摘と同様の旨をTwitterでも受け取りまして、慌てて修正したのですが、なろう系が参考にしたと思われるゲームや小説への言及を忘れてしまっていました。
      そちらは本文を修正させていただきました。参考になるご指摘ありがとうございます。
      ご指摘の①②についても達観でいらっしゃると思います。なろう系と呼ばれる作品は西洋を参考にしていますのでそういった面も多々あると思います。
      ナーロッパはその西洋ともまた異なった世界ですが。
      さて、私自身宗教観の構築は作家にとって面倒であれば既存のイメージを使用してもよいと考えています。
      私は本当にWEB小説に存在する共通幻想という存在にとても興味がありますので。
      今回の投稿では、「独自の宗教を作ろうとしているけど、宗教に対する知見がないため一般には起こりえないはずの変遷を経てキリスト教的になってしまっている」小説を書かれていらっしゃる方に届けばよいな、という文章です。
      もちろん元々興味はなかったにも関わらず、この文を読み宗教観を再考してくださる方がいらっしゃれば冥利に尽きますが。
      次回のコラムの予定は決まっていませんが、WEB小説に関する情報は続けていきますので、何卒宜しくお願い致します!

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プロフィール
戸津坂京介

戸津坂京介

小学生の頃に歴史小説にドはまり。中学でラノベ、高校で雑食になりました。しかし、大学で文学史にハマってしまい以降は歴史書や専門書ばかり読み漁っています。
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父親が犬猫論争で一ヶ月間家出したことがあります。

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